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ブログ・おもらし抒情

おしっこは我慢するけど 言いたいことは我慢しません。

あなたが滲む。

今年ももう1カ月ないそうで。
もうない、と言われるとなんだか急に
もったいなく感じてしまう、
失われるものへの執着。



見ず知らずの誰かのおもらしおねしょのお話も、
もちろんどきどきします。
けれどやはり、「あなたの」おもらしおねしょのお話に
どきどきするんです。
あの日、となりで微笑んでくれたあなた。
あの日、励ましの声をかけてくれたあなた。
あの日、心配そうな顔でわたしを見つめたあなた。
あの日、大好きな服について目を輝かせて話したあなた。
あの日、恥ずかしそうに欲望を打ち明けてくれたあなた。
そんな、あなたの。



いつの間にかすっかり冬で。
そりゃあ12月だもの、寒くても何の不思議もなくて。
なのに、急に寒くなったのがいけないの、
なんて、冷たくなったシーツの言いわけを考えて。



下着におしっこが滲むように、
おもらしにはあなたが滲む。

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秋の日暮れ時は。

透き通る秋、金色の秋。
秋は透明で、ほの黄金色に輝いてるとすれば、
秋はおしっこなのかもしれません。



実際にあった女性のおもらしやおねしょのエピソードに
いちばん心を揺さぶられる。
けれど、生活の中で女性のおもらしおねしょのエピソードを
知ることなんてないから、「創作」で補おうとしていた。
わたしの創作が「実際にあったエピソード風」になったのは
当然のことだ。
だが、実際のおもらしやおねしょは、場合によっては
当人を深く傷つけるだろう。
わたしが知りたいのは、「傷ついた女性のエピソード」ではない。
それでは、「どきどき」はできないから。
だから、わたしの創作は「実際にあったエピソード風」でありながら、
「女性は比較的傷つかない、あるいは傷を乗り越えられる」
話となった。
それは、都合の良い現実の改変なのか。
それとも、創作とはそもそも「希望(あるいは欲望)」を
託してよいものなのか、などと。



あなたのおもらしのエピソードにとても満たされています。
もう少しだけ、あなたのこころに触れたい。
あなたを抱きしめる腕も、あなたの水たまりを拭く手もないから、
せめて「言葉」で「あなたのこころ」に触れたい。



拍手・感想をいただいています。
ありがとうございます。

>10月29日の方へ
小出さんの好きなファッション(服装)として
「地雷系(女子)」と表現しました。
人間関係を拗らせることが多い、といったような、
性格や対人関係についての特徴については
小出さんにはあまり当てはまらないかもしれません。
ただ、小出さんもある意味「魔性」ですので、
その意味では「地雷」とも…


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明日は笑顔で会えますように。

「急に涼しくなったからおねしょしちゃった」
「おしっこから湯気が立つと、寒くなったなって感じる」

季節とその移ろいを愛でるこころは、
おもらしやおねしょを愛でるこころと
ひとしいものかもしれない。

知らんけど。



先々に楽しいことが待っている、というのは、
日々を生きていく上でとても大切だなぁ、と最近よく思う。
若いころは、なんだかんだ言って「イベント」のほうが
勝手にやってきて、それを煩わしく思ったりもしたのだけど、
歳を取ると、やりたくないことは毎日山積みなのに、
わくわくするようなこと、たのしみなこと、待ち遠しいことは
自分で用意しないと出会えなくなってしまう。
はやく○○が来ないかな、はやく○○にならないかな、
そんな、指折り待つような「先々のできごとがある」ということが
乾きささくれ立った日々にどれほど潤いとなるか。

だが。
期待は裏切られるかもしれない。
どんなに楽しい計画をしてもうまくいかないかもしれない。
次第に、「自力で先々の楽しみを用意する」ことに虚しささえ覚える。
どうせ、うまくいかない。
期待どおりなんてない。
楽しみに待つなんて、ばからしい。
なら、何もしない方がいい。

そんな時、偶然もたらされる思いもよらない「うれしいこと」。
驚きと、戸惑いと、けれど体じゅうが喜びに打ち震えるような、
そんな、素晴らしい偶然。
そんなものはそうそう訪れるものではない。
期待して待つものではない。
自力でどうにかなるものではない。
だからこそ、
「偶然」巡り合えた時の充足感。
言葉にすれば「生きていてよかった」。
それはまさに「神の恵み」に他ならないと思う。

女性の「おもらし」や「おねしょ」、そのエピソードは、
わたしにとってまさに「神の恵み」なのです。



あなたのおかげで生きています。
心から感謝。

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『待て、しかして希望せよ』

思っていることをつらつら。



 一般的に、おもらしとそれにまつわる一連の出来事は、
当人にとってつらい、苦しい、恥ずかしい、情けない、
負の出来事だろうと思う。

 けれどわたしは「女性のおもらし」に、得も言われぬ
高揚を覚える。

 それは決して、女性の不幸な姿を見ることで高揚しているわけではない、
と、自分では思っている。
なぜなら、他人の不幸をよろこぶようなことはしたくないから。
わたしはあくまで「おもらし」という事象に惹かれている、
と自分では思っている。
わたしにとって「おもらし」は、
「色白の女性が好き」とか「女性の笑顔が好き」と同一である。
「色白」も「笑顔」も、それ自体は不幸ではない。
 先述のように、「おもらし」にはそもそも「負の側面」が
多分に含まれている、と言えるだろう。
けれどわたしは、わたしが惹かれているのは「色白」や「笑顔」と
同列の、一つの事象としての「おもらし」なのだ(と、思いたい)。



 「明日はきっといいことがある」、誰しもそう、
こころのどこかで、信じているのではないか。
ここにはまだないけれど、いつかおとずれて欲しい、
それは「偶然」のような「幸福」。
努力しても必ず結果が伴うとは限らない現代、
せめて、「偶然おとずれるかもしれない幸福」を
心待ちにしてもいいのではないか。

 わたしにとって、この偶然の幸福とは、
紛れもなく「女性のおもらしのお話を聞くこと」である。

 だから、「まだ知らぬ女性のおもらし」を思うとき、
こんなにも胸がときめくのだ。
 「明日はきっといいことがある」、そう、未来に期待するときの、
何とも言えない幸福感、満たされる思い。
 どんなに願っても思い通りにはならない、けれど、信じていたい、
それはきっと、かたちのない「希望」。

 わたしにとって、この女性のおもらしとは、
紛れもなく「明日への希望」なのである。



 おもらしという、おそらく「不幸」を願う
わたしと言う、罪深き「」。



金木犀のかおりがすると、おトイレの芳香剤を思い出す。
一面の金木犀がかおる秋は、すべてがおトイレです。



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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おもらしが好き、きみが好き。

胸をいっぱいにするのは夏のにおい、
胸が空っぽになるのは冬のかおり。
どちらも切なくて、けれど冷たい雨の日は、
よけいにさみしさが募る。



女性のおもらしやおねしょが好きです。
だから、おもらしやおねしょをしてしまう女性が好きです。
好きなひとには笑顔でいて欲しいです。
けれど、多くの場合おもらしおねしょはつらい、苦しいことでしょう。
つらかったことも、苦しかったことも、時間が経てば
笑えるようになるかもしれません。
だからそんな、笑えるようになった、
あるいははにかみながら胸の奥にしまった、
おもらしやおねしょの思い出のお話が好きです。
では、まだ笑えない、思い出にできない、
つらい、苦しいおもらしおねしょのお話は?
わたしは、
女性のおもらしやおねしょが好きです。
だから、おもらしやおねしょをしてしまう女性が好きです。
好きなひとには笑顔でいて欲しいです。
あなたが笑顔になるために、もしもわたしにできることがあるならば。
あなたのちからになりたい。



冷たい雨
冷たい服
冷たい視線
冷たい椅子
冷たい夜
誰か聞いて
冷たい明日



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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