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ブログ・おもらし抒情

おしっこは我慢するけど 言いたいことは我慢しません。

明けましためでたいな。

明けました。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もなにとぞ、よろしくお願いをいたします。

さて、去年の続きから!
新しいうちの子「黄金野えんじゅ」さんのご紹介です。
彼女は、他のうちの子とは、少し違う物語を考えています。
彼女は、「トイレに行きたいときほどトイレにたどり着けない」、という、
おそろしい(?)星のもとに生まれた少女です。
そのため彼女は、物心ついたときからおもらしを繰り返してきました。
トイレに行きたいと思えば思うほど、思いもよらぬ出来事が不思議なほどに相次ぎ、
結局トイレまでたどり着けずに限界を迎えてしまう…
ですが、そこでまた「不思議なこと」が起こります。
おもらしに打ちひしがれる彼女。しかし誰一人として彼女のおもらしを気に留めるひとはいません。
電車のなかで隣の女子高生がスマートフォンを見ていても、不思議に思うひとはいないでしょう。
それと同じように、「なんだ、おもらししただけか」と言わんばかり、
誰も彼女のおもらしを笑ったり、憐れんだり、奇異な目で見たりしないのです。
唯一、彼女の家族だけが「またおもらししたの? 本当に、いつまでたっても"えんじ(園児)さん"なんだから」と、
少しあきれて、でも優しく声をかけるだけです。
もちろんそれは、彼女にとって不愉快極まりない声かけではあるのですが。
トイレにたどり着けない不運を恨み、おもらしを繰り返す自身に嫌気がさし、
彼女はすっかり無気力で、厭世的で、「どうせわたしなんて…」が口ぐせの、暗い性格になってしまいました。
本当は、明るくて、無邪気で、ちょっと夢見がちな女の子だったのに。
いつしか、自分の理解者は鏡のなかのもう一人の自分「エンジュリア」だけ、そう思うようになっていました。

「黄金野えんじゅ」さんには、ある明確な「コンセプト」があります。
それは、恐らく明言されることはありません。
ただ、「彼女のあらゆるエピソード」が、ひとつの「コンセプト」に基づいているので、
彼女の幾つかのお話をお読みになれば、自ずと分かるかもしれません。
彼女の物語は、非常に短い短編エピソードの連続になるかもしれません。
いつかここでお披露目できたらな、などと、
もやもや妄想を膨らませております。


というわけで、中尾さん&黄金野さん。

今年は、今年こそは。
ちょくちょくこちらも更新したいです。
おもらし創作を始めて十年以上が経ち、わたし自身もずいぶん
年を取りました。
加齢とともにおもらしやおねしょに対する思いも変わってきたと感じています。
今のわたしだから書けるおもらしおねしょの物語があるのではないか、
そんな、かすかな予感を信じて、筆をすすめることができたなら、と。

また、ツイキャスについては、毎週土曜日22:30から、変わらず続けていきたいなと思っています。
日常生活のなかではあまりできないおもらしおねしょについて、
ひっそりこそこそ、けれど気兼ねなく話せる、わたしにとってとても楽しい時間です。
ご興味ございましたら、ぜひお気軽にお立ち寄りくださいませ。

改めてまして、今年もよろしくお願いをいたします。



拍手をいただいております。
ありがとうございます。

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今年もお世話になりました。

2025年も残すところわずかです。
すっかり更新もおろそかになってしまったこちらですが、
それでも足を運んでくださる方がいらっしゃるのは、
ありがたいやら、申し訳ないやら。
いいえ、めちゃくちゃありがたいです。
拍手とか感想とかめちゃくちゃ嬉しいです。
本当に、ありがとうございます。

さて、創作らしい創作はぜんぜんしていないのですが、
少しだけ今年の出来事を振り返って。

まず、結城みはるさん、黒沢そうさん、小出ありえさんに続く
4人目のうちの子、「中尾むつ子」さんのイメージが
固まったこと。
中尾さんは、
「高校入学そうそう学校でおもらしをしてしまった女の子の、その後の3年間」、
という物語が先に浮かんでいたのですが、
「少年漫画が大好きで、尿意も忘れて作品に没頭する、
テンション高めなおたくの眼鏡っ子少女」というキャラクターに、
「作品に興奮し過ぎるとそのままおもらししちゃう」という特性が加わり、
たいへんわたし好みな子になりましたw
また、「美少女と言って差し支えのない容貌だが、熱中すると
もともと大きな目をさらに見開くので、どこか狂気をはらんだようにも見える」、
「創作、二次創作が好きで、ペンネームは"巡逆月(メグルサカヅキ)"あるいは"カヅキ"」、
という、細かい設定もできました。
本来は、「おもらししちゃった子と呼ばれながら過ごす学校生活」を描きたくて
思いついたキャラクターでしたが、
これくらい設定が厚くなると、単独で活動してもらってもいいかな?
などとも思っており。
さて、どうなることでしょう。

実は、今年はもうひとり「黄金野えんじゅ」さんという
キャラクターが生まれました。
本当は彼女についてもここで触れようと思ったのですが、
ちょっと長くなってしまったので、
また来年にしようと思います。
年始のご挨拶! しますから! 必ず!

というわけで、今年もエックスやらツイキャスやらでも、
たいへんお世話になりました。
来年も引き続き、よろしくお願いをいたします。
どうぞ皆さまも、よいお年をお迎えくださいませ。


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信仰告白。

わたしの周りに、さし当たり、手に届く範囲に、
おもらしおねしょをしてしまった女性のエピソードを
見つけることはできない。

可能性から考えてみれば、人は誰しも毎日排泄をするし、
自身を省みても、おもらしおねしょについてまったく覚えがない、
ということは無いだろうから、
少なくとも誰しもが、それなりのおもらしおねしょの逸話を
持ち合わせている、と言って差し支えはないであろう。

にもかかわらず、身の回りで出会うことはない。
確かに存在しているはずなのに、見いだすことはできない、
それは、もはやある種の神秘性さえ帯びて。



翻って、インターネット上にはたくさんの
おもらしおねしょのエピソードを見つけることができる。
画面のむこうの彼女たちが本当に実在するのか、
彼女たちの語る言葉が、掲げる画像が、一切の嘘偽りのないものなのか、
わたしには分からない。
だが、画面上の彼女たちを信じるとすれば、
おもらしやおねしょをしてしまう女性は確かに存在する、
と、言える。

わたしは、女性のおもらしおねしょの逸話を聞くことが大好きだ。
それはもうほとんど、わたしの生きる活力、明日へ向かう希望とすら
言ってよいと感じている。

画面の向こうの彼女たちに触れることはできない。
真実かどうか確かめることもできない。
だが、その語る言葉は、見せる光景は、確かにわたしを励まし、
慰め、赦し、救済する。
それは、神の施しそのものではないか。
ならば、わたしが彼女たちに抱く思いは、「信仰心」ではないのか。



ここにきてわたしは、おもらしおねしょとの新たな関わりに
たどり着いたように思う。
おもらしおねしょは、わたしにとって「信仰」であり、
だとしたらわたしは、敬虔に、神を頌え、自らを律し、
ただひたすらに、その道を歩み続ける。
それこそが、わたしとおもらしおねしょとの関わりなのではないか。
「救われるため」に神を信じるのではない。
「神を信じる」という「生き方」、すなわち
ただ手を合わせ、頭を垂れ、祈る、それ自体が
世俗の迷いの中に細くしかし美しく輝き、わたしを導くのだ。
弥栄。



何を言ってんだろーなー、って自分でも思うんですけど、
おもらしおねしょと直接的な「性欲」が切り離された
今のわたしにとっての「おもらしおねしょ」の
ひとつの「回答」ではあるように感じています。
何言ってんだろーなー、とは思うけど。

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憧れは未来へ。

関東地方も梅雨入りだそうで。
蒸し暑い、濡れれば冷たい、
息苦しい、煩わしい、
なんて雨の日の鬱陶しさを言葉にして
たとえば、毎朝シーツを濡らしてしまう
少女のため息とふくれ面を思い浮かべたりして
きっと明日も雨だろうな、
どこか、自嘲気味に言ってみたりして。



明るい未来を予感するときの高揚感。
それを、ときめきと呼んで良いでしょう。
満塁でまわる四番打者の打順
楽しみにしていたおもちゃの発売日前夜、
あなたと会える日を指折り数えて過ごす日々、
待ち焦がれた瞬間が訪れようとするまでの、
もどかしくも、期待に満ちたその間。
わたしが、おもらしやおねしょをしてしまう
女性に対し抱くのは、
まさにそのような「ときめき」に
他ならないのではないか、などと。

入学して間もなく、帰宅途中におしっこを漏らしてしまった少女。
だっていつも授業が長引いて、休み時間にトイレに行けないんだもん。
だからって、授業中にトイレなんて言えないし。
わたし、もともとおトイレ近くて、
小学校でも、けっこうおもらししちゃってるんです。
例えばそう少女がつぶやいたとき、
わたしは彼女に「次のおもらし」を期待せずにはいられない。
その期待は「ときめき」に他ならない。
決してだれにも打ち明けてはならない、
知られてはならない、気づかれてはならない、
暗いときめき。
あるいは、もう一つの名で呼ばれる。



だからわたしは明日を待つことができる。


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えいえんにじょせいなるもの。

朝から雨が続いています。
ときおり激しく降りつけます。
ただ、嵐と言うには空は明るくて、
濡れそぼる服を隠してはくれず、
けれど暗かったらきっと泣いてしまっただろうな、
そんな、五月の終わり。



とてもセンシティヴなお話。
わたしは、女性のおもらしやおねしょが好きです。
まったく同じ状況の、男性と女性のおもらしのお話があったとしたら、
わたしは間違いなく女性の方に惹かれます。
では、わたしは何をもって、
女性を女性と判断、定義しているのでしょうか?
容姿? 仕草? 身体における女性的特徴?
実のところ、よく分からないのです。
ですが、わたしは確かに「何か」で「女性」を判断し、
定義している。
それはとてもセンシティヴなことかもしれませんが。

余談ですが。
かの有名な『永遠に女性なるもの、吾を牽きて昇らしむ』ですが、
「女性なるもの」は原著では、「肉体としての女性」という語であるとか。



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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