「急に涼しくなったからおねしょしちゃった」
「おしっこから湯気が立つと、寒くなったなって感じる」
季節とその移ろいを愛でるこころは、
おもらしやおねしょを愛でるこころと
ひとしいものかもしれない。
知らんけど。
*
先々に楽しいことが待っている、というのは、
日々を生きていく上でとても大切だなぁ、と最近よく思う。
若いころは、なんだかんだ言って「イベント」のほうが
勝手にやってきて、それを煩わしく思ったりもしたのだけど、
歳を取ると、やりたくないことは毎日山積みなのに、
わくわくするようなこと、たのしみなこと、待ち遠しいことは
自分で用意しないと出会えなくなってしまう。
はやく○○が来ないかな、はやく○○にならないかな、
そんな、指折り待つような「先々のできごとがある」ということが
乾きささくれ立った日々にどれほど潤いとなるか。
だが。
期待は裏切られるかもしれない。
どんなに楽しい計画をしてもうまくいかないかもしれない。
次第に、「自力で先々の楽しみを用意する」ことに虚しささえ覚える。
どうせ、うまくいかない。
期待どおりなんてない。
楽しみに待つなんて、ばからしい。
なら、何もしない方がいい。
そんな時、偶然もたらされる思いもよらない「うれしいこと」。
驚きと、戸惑いと、けれど体じゅうが喜びに打ち震えるような、
そんな、素晴らしい偶然。
そんなものはそうそう訪れるものではない。
期待して待つものではない。
自力でどうにかなるものではない。
だからこそ、
「偶然」巡り合えた時の充足感。
言葉にすれば「生きていてよかった」。
それはまさに「神の恵み」に他ならないと思う。
女性の「おもらし」や「おねしょ」、そのエピソードは、
わたしにとってまさに「神の恵み」なのです。
*
あなたのおかげで生きています。
心から感謝。
PR