早いもので今年もあとわずかとなりました。
幣サイトについては、今年はなかなか思うように
更新ができず、わたし自身もやもやを
感じていた一年でした。
「やりたいことをやりたいときにやる」のが
いいなぁ、と常々思っておりますが、
なんだか今年はやりたいこともできなかったなぁ、
と。
とは言え、もやもやしていても仕方ありませんから、
来年はたくさん、やりたいことをやりたいぞ! と、
前を向いていたいものです。
おもらしを好きでいる限り、足を運んで下さる
方がいる限り、のんびりと更新を続けてまいります。
今年も、本当にお世話になりました。
どうぞ新しい年も、皆さまにとってより良き
年でありますよう。
良いお年をお迎えくださいませ。
*
拍手・感想をいただいています。
ありがとうございます。
ザーレさんはすごく優秀な子なのです。
ですが、どうしてもオーデルさんに
振り回されてしまって、オーデルさんは
そのことにきっと気づいていないという。
ぜんぜん更新が出来ていないので
本当に心苦しいのですが、
『水源のアリエ』は、ザーレさんと
オーデルさんの物語なのです。
*
さて、年の終わりなのですが。
幣サイト、今年の2月で五年目だったんですね。
さっき気づいたのですけど。
まぁ、五年目だから何か大々的にやろう!
などどはそもそも考えていなかったのですが。
メモリアルイヤーだったということで(笑)、
いままでしていなかったお話をしようかなと。
わたしのおもらしの思い出についてです。
長くなりますので、別ページにて。
↓下「続きはこちら。」から。
サイト紹介『わたしのこと、ここのこと』では、 『記憶に残っているわたし自身のおもらしはほとんどない』
という旨を書いているのですが、
実は、1度だけあるんです。
中学1年生のときのことです。
時期は正確には覚えていないのですが、
学生服を着ていたと思いますので、そんなに暑い頃では
なかったのではないでしょうか。
わたしは、母に、学校のそばに住む母の知人のところへ、
荷物を届けるよう頼まれていました。
授業が終わり学校を出た時は、尿意は全く意識して
いなかったと思います。
ですが、10分ほど歩いたところで、わたしは
強烈な尿意に見舞われました。
知人の家までは歩いて15分ほど、何回か行ったことが
あったので、道も覚えていました。
あと5分ほどだ、中学生にもなって、
まさか我慢できないはずはない。
そう思ったのですが、
数十メートル進んだころには、それはもう耐えられない
ほどの尿意となっていました。
人通りはないとはいえ、住宅街の一角、
その辺でしてしまおう、という気にはなりません。
尿意はいっこうにおさまりそうになく、
それどころかますます強く感じられます。
もう、歩くことはおろか、立っているのも辛いほど。
少しだけ出してしまったら、楽になるだろうか、
そんなことを考えてしまったからかも知れません。
数メートル歩いたところで、しょわっ。
必死で筋肉を緊張させているにもかかわらず、
下着に熱がにじむのが分かりました。
自分でも信じられませんでした。
数メートル歩いては、しょわっ、しょわわっ、
我慢しているはずなのに、おしっこがあふれてきます。
鼓動が速くなり、知人の家に着いた時には、
全力疾走の後のように息が上がっていたのを
覚えています。
わたしは無我夢中で呼び鈴を押しました。
頭のなかはトイレに行くことでいっぱいでした。
扉の前に立ち、足踏みをしながら知人の応答を待つそのわずかの間、
しょおおおお、今までとは比べ物にならない量の
おしっこが、わたしの両足を駆け下りていきました。
もうすぐトイレに行ける、そんな気のゆるみもあったかも知れません。
知人の声が聞こえ、扉が開きます。
そのあいだも、おしっこは出続けていました。
わたしは、努めて冷静を装い、短い挨拶をしたあと、
すいません、トイレを貸してください。
そう伝えました。
駆け上がりたい気持ちを抑え、靴を脱ぎ、玄関を上り、
トイレに向かいました。
洋式便器でした。立って用を足したのか、
それとも座ったのか、よく覚えていないのですが、
それなりの量のおしっこが出て、よかった間に合った、
その時はそう、思いました。
知人はお茶菓子などを用意してくれていましたが、
こんな状態でゆっくりすることはできません。
わたしは荷物を渡すと、そそくさとおいとまの言葉を
口にしました。
靴を履き、知人を背に家を出ようとした時、
開かれた扉の先、わたしが、おそらく先ほど
立っていただろうところに、
黒い染みが広がっているのが目に飛び込みました。
地面まで流れたわたしのおしっこの染みであることに
疑いの余地はありませんでした。
おもらしだ。
そう、認めざるを得ませんでした。
わたしは急いで扉を閉め、知人の家を後にしました。
きっと、ズボンも下着もぐっしょり濡れていたでしょう。
どんな思いで家まで帰ったのか、家でどんな後始末を
したのか、覚えていません。
当時は消臭スプレーなんてなかったですから、
翌日も同じズボンを穿いたのでしょうか。
おしっこくさかっただろうに、、、
さて、ここまで読まれて、お気づきの方も
いらっしゃるかもしれません。
この出来事を下敷きに脚色をしたものが、
拙作『ながいながいかえりみち』です。
当時はまだ、インターネットなどそれほど
発達していませんでしたから、
おもらしの体験談などを目にすることもなく、
またまわりに、おもらしの話をしてくれる友人も
いませんでしたから、「中学生のおもらし」なんて、
空想の中にしか存在しませんでした。
しかし、他でもないこのわたしが、
中学生でおもらしをしたのです。
中学生のおもらしは絵空事ではない。
その事実は、当時の自分にとっても、もしかしたら、
今の自分にとっても、大きな創作の源となっています。
余談になりますが。
この出来事の後、私はもう一度、
「ほんとうのおもらし」を追体験したくなり、
おしっこを限界まで我慢して、
わざと遠回りして家に帰る、なんてことを
繰り返しました。
しかし、不思議なもので、どれほどおしっこを
我慢してみても、あの時のように、
「おしっこがあふれ出てしまう」ことは
ありませんでした。
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