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ブログ・おもらし抒情

おしっこは我慢するけど 言いたいことは我慢しません。

明日は笑顔で会えますように。

「急に涼しくなったからおねしょしちゃった」
「おしっこから湯気が立つと、寒くなったなって感じる」

季節とその移ろいを愛でるこころは、
おもらしやおねしょを愛でるこころと
ひとしいものかもしれない。

知らんけど。



先々に楽しいことが待っている、というのは、
日々を生きていく上でとても大切だなぁ、と最近よく思う。
若いころは、なんだかんだ言って「イベント」のほうが
勝手にやってきて、それを煩わしく思ったりもしたのだけど、
歳を取ると、やりたくないことは毎日山積みなのに、
わくわくするようなこと、たのしみなこと、待ち遠しいことは
自分で用意しないと出会えなくなってしまう。
はやく○○が来ないかな、はやく○○にならないかな、
そんな、指折り待つような「先々のできごとがある」ということが
乾きささくれ立った日々にどれほど潤いとなるか。

だが。
期待は裏切られるかもしれない。
どんなに楽しい計画をしてもうまくいかないかもしれない。
次第に、「自力で先々の楽しみを用意する」ことに虚しささえ覚える。
どうせ、うまくいかない。
期待どおりなんてない。
楽しみに待つなんて、ばからしい。
なら、何もしない方がいい。

そんな時、偶然もたらされる思いもよらない「うれしいこと」。
驚きと、戸惑いと、けれど体じゅうが喜びに打ち震えるような、
そんな、素晴らしい偶然。
そんなものはそうそう訪れるものではない。
期待して待つものではない。
自力でどうにかなるものではない。
だからこそ、
「偶然」巡り合えた時の充足感。
言葉にすれば「生きていてよかった」。
それはまさに「神の恵み」に他ならないと思う。

女性の「おもらし」や「おねしょ」、そのエピソードは、
わたしにとってまさに「神の恵み」なのです。



あなたのおかげで生きています。
心から感謝。

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『待て、しかして希望せよ』

思っていることをつらつら。



 一般的に、おもらしとそれにまつわる一連の出来事は、
当人にとってつらい、苦しい、恥ずかしい、情けない、
負の出来事だろうと思う。

 けれどわたしは「女性のおもらし」に、得も言われぬ
高揚を覚える。

 それは決して、女性の不幸な姿を見ることで高揚しているわけではない、
と、自分では思っている。
なぜなら、他人の不幸をよろこぶようなことはしたくないから。
わたしはあくまで「おもらし」という事象に惹かれている、
と自分では思っている。
わたしにとって「おもらし」は、
「色白の女性が好き」とか「女性の笑顔が好き」と同一である。
「色白」も「笑顔」も、それ自体は不幸ではない。
 先述のように、「おもらし」にはそもそも「負の側面」が
多分に含まれている、と言えるだろう。
けれどわたしは、わたしが惹かれているのは「色白」や「笑顔」と
同列の、一つの事象としての「おもらし」なのだ(と、思いたい)。



 「明日はきっといいことがある」、誰しもそう、
こころのどこかで、信じているのではないか。
ここにはまだないけれど、いつかおとずれて欲しい、
それは「偶然」のような「幸福」。
努力しても必ず結果が伴うとは限らない現代、
せめて、「偶然おとずれるかもしれない幸福」を
心待ちにしてもいいのではないか。

 わたしにとって、この偶然の幸福とは、
紛れもなく「女性のおもらしのお話を聞くこと」である。

 だから、「まだ知らぬ女性のおもらし」を思うとき、
こんなにも胸がときめくのだ。
 「明日はきっといいことがある」、そう、未来に期待するときの、
何とも言えない幸福感、満たされる思い。
 どんなに願っても思い通りにはならない、けれど、信じていたい、
それはきっと、かたちのない「希望」。

 わたしにとって、この女性のおもらしとは、
紛れもなく「明日への希望」なのである。



 おもらしという、おそらく「不幸」を願う
わたしと言う、罪深き「」。



金木犀のかおりがすると、おトイレの芳香剤を思い出す。
一面の金木犀がかおる秋は、すべてがおトイレです。



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ありがとうございます。

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おもらしが好き、きみが好き。

胸をいっぱいにするのは夏のにおい、
胸が空っぽになるのは冬のかおり。
どちらも切なくて、けれど冷たい雨の日は、
よけいにさみしさが募る。



女性のおもらしやおねしょが好きです。
だから、おもらしやおねしょをしてしまう女性が好きです。
好きなひとには笑顔でいて欲しいです。
けれど、多くの場合おもらしおねしょはつらい、苦しいことでしょう。
つらかったことも、苦しかったことも、時間が経てば
笑えるようになるかもしれません。
だからそんな、笑えるようになった、
あるいははにかみながら胸の奥にしまった、
おもらしやおねしょの思い出のお話が好きです。
では、まだ笑えない、思い出にできない、
つらい、苦しいおもらしおねしょのお話は?
わたしは、
女性のおもらしやおねしょが好きです。
だから、おもらしやおねしょをしてしまう女性が好きです。
好きなひとには笑顔でいて欲しいです。
あなたが笑顔になるために、もしもわたしにできることがあるならば。
あなたのちからになりたい。



冷たい雨
冷たい服
冷たい視線
冷たい椅子
冷たい夜
誰か聞いて
冷たい明日



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病まない雨はない。

かなりセンシティヴなお話。

ご覧になる方はこころしてね。



夜尿も失禁も「症」と言われる。
症は病気の状態を指す言葉なので、
夜尿も失禁も「病気」と言うことになる。
病気とは、一時的、あるいは慢性的な生体機能の変化、変質により、
健康ではない状態となり、日常生活を営む上での不具合や、
痛みや不快感などをともなうもの、と言えるだろう。

わたしは、おもらししてしまう女性、おねしょをしてしまう女性に
強い魅力を感じる。
もちろん、健康な、病気ではない女性でもおもらしやおねしょをすることは
あるだろう。
だが、前述の通り、それが心身の器質(あるいはその変化)に由来するもので
あれば、「病気」と呼ばれる。
自問する。
「わたしは、病気の女性に魅力を感じるのか」
さらに
「わたしは病気に魅力を感じるのか」

答えは

「はい」

である。

 原因が病気であれそうでなかれ、わたしはきっと、
女性のおもらしやおねしょに魅力を感じる。
その意味で、きっとわたしは病気の女性が「好き」なんだろう。
ただし、それらはみな空想の中だけの話である。
なぜならわたしは「おもらしやおねしょをしてしまう病気の女性」に
「実際に知り合ったことはない」からである。
SNS上での「知り合い」については、ちょっと真偽のほどが
定かでない場合があるので、「実際」と言っていいのか、
ちょっと分からないところがある。
 さておき、もし、実際に「おもらしやおねしょをしてしまう病気」
の方で、わたしと話をしてもいいよ、と言う方がいらっしゃったら、
ぜひ、コメントでもいただきたいな、と思うところである。
何をお話させていただくか、空想の中で考えておく。



わたし、「おもらし病」なんだって
おしっこが我慢できなくて
おもらししちゃうことがあるんだって

そう言ってあの子は泣いた

でも僕は、君が好きだよ



「おもらし、おねしょをしてしまう病気」
きっと、無数にあるだろう。
病気に詳しい方ともお話したい。

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名前を付けること。

ごちゃごちゃと。

秋ですね。まだ暑いですけど。
今年はシャインマスカットがお手ごろだそうですね。
梨もおいしいそうです。
夜の勉強のおともに、おいしい梨や葡萄をついつい
たくさん食べてしまって、
翌朝何年かぶりの世界地図を描いてしまう
女子中学生さんや女子高生さんは
かわいいと思います。



「その状況なら、おもらししちゃっても仕方ないよ」
って、言ってもらえる、思ってもらえる状況について考えて、
どきどきするなどしている。
たとえば、

・渋滞に巻き込まれて
・家や会社のトイレが故障して
・とてもショックな場面や出来事があって
・お酒を飲み過ぎて

とか、
それは仕方ないよ、きっと同じ状況だったらわたしも
おもらししちゃう、そんな風に思われる状況。言わば、

「共感されるおもらし」。

もっと考えてみたい。



ひとつとして
同じ傷はないし
同じ痛みもなくて
あなたの痛みをわたしが感じることも
わたしの痛みをあなたが感じることも
できなくて
でも
あの日、教室でおもらししちゃったわたしの気持ちを
あなたなら分かってくれるかもしれないって
いたずらにときめいて
あなたのおもらしの思い出を聞いた



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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