拍手をいただいています。
ありがとうございます。
さて、しげしげ考える。
おもらしの何が好きなのか。
弊サイトでは繰り返し、
「誰にも知られたくないけれど誰かに打ち明けたい」
「胸の奥の秘密のような」
おもらし、
という表現を使っている。
わたしの好きなおもらしとは、
「誰にも知られない秘密」
という側面を、少なからず孕んでいる。
わたしにとって(他人の)おもらしを知る、とは、
「秘密の覗き見」でもあるのだ。
「わたしは(あるいは、誰も)知らなかった」からこそ、
「秘密を知ってしまった」、という、
ある種のカタルシスを得ることができる。
「○○さん、中学校でおもらししちゃったことがあるんだって」
「わたし、実は高校までおねしょしてたの」
、なんて話を不意にされたら、どれほど心ときめくことか。
同時に、わたしが公衆の面前でのおもらし(=誰もが知るおもらし)に
あまり魅力を感じないのは、このあたりに一因があるかもしれない。
もちろん、「おもらしに苦しむ姿」は、あまり好きではない、
というのが大きいのだけれど。
「わたしの好きなおもらし」とは、
「秘密の覗き見」という要素を少なからず含んでおり、
それゆえ、おもらし自体は「秘密」でなければならない。
いかにおもらしを「秘密」にするか、
実は、わたしの短編においては、
そこがひとつ重要な要素なのではないか。
とまぁ、考えてはみたけれど。
結局はおもらしが好きなわけで。
あんまり理屈も分析も必要ないかなぁ、
とも思い。
なんだろ、
「あこがれの女の子の後ろ姿をついつい見てしまう」ような、
あの甘酸っぱさ、切なさが好きなのかな。
そういった短編がもっと書けるといいなぁ、と思いつつ。
どうぞのんびりお付き合いいただければ幸いです。
別に、覗きが好きなわけじゃないよ!
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