涼しくなりましたね。
そこはかとなく紅葉もすすみ。
おしっこのあたたかさが恋しくなる。
ならないか。
あたたかい、というのは幸福を思い出させ、
つまりあたたかさは幸福そのものではないか、
だとか、
幸福が一瞬であることを、
どこか、わたしたちは知っている。
*
良い時代だなぁ。
つくづく。
某サイト様で教えていただいたのですが。
『はじめてのおもらしガイド』
(著)三葉 一迅社 2014.08
「おもらしプレイ解説書」、だそうです。
おもらしプレイとまじめに向き合っている印象で、
感心しきり。
順序だてて話を展開させていくしかたも、
分かりやすいですし、
おもらしプレイを実行するために、
実際どのような準備をすればよいかなど、
具体的に書かれているあたり、
なるほど「ガイド」だなぁ、と。
*
とは言え。
おもらし「プレイ」と言われると、
私見を述べさせていただけば、
それなりの違和感を感じます。
上述本文内でも触れられているのですが、
「おもらし」は偶然であってこそ、
と思うのです。
もちろん、ひとつの見方として、
(これも本文中で言及されていますが)
例えば、「おもらしをするようにしむけられた」、
としても、当人が、「しむけられた」ことに、
気が付いていなければ、当人にしてみれば、
「偶然おもらしをした」と言えるのかもしれませんし、
「しむけた」方は、偶然おもらしを目撃した際と、
「おもらしを目撃した」という点では変わらないのかも
しれません。
ですが、(少なくともどちらかは)
意図的に「プレイ」を行い、そこには、
「予想される結果としてのおもらし」が
あります。
予想されるおもらし、
もっと言えば「予定通りのおもらし」、
やはり、違和感を感じます。
ととと、とは言え。
別におもらしプレイを否定してるわけでは
ありませんよ。
むしろうらやましい(笑)
これからますます、おしっこのあたたかさが
恋しくなる季節、ですもの。
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