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ブログ・おもらし抒情

おしっこは我慢するけど 言いたいことは我慢しません。

ツイキャス12月19日配信

ツイキャス12月19日配信分、
『うちの子かわいい。の回』


※録音機材の不具合により、
 開始二分程度無音となっています。
 ご了承ください。

うちの子の魅力についてや、
拙ツイッターで活躍? している
「小出ありえ」
さんについてなど。
いつもたいへん気持ちよくおしゃべりを
させていただいています。
聞いてくださる皆様がいらっしゃる
おかげです。
ありがとうございます。



どこまでいけば
満たされるのだろう?
好きなときに
好きなひとの
おもらしやおねしょが見られて
そのときの気持ちが聞ければ
満たされるの?
喉が渇いたよ
胸が苦しいよ
オアシスに舞う揚羽蝶
の想像図が
スマートフォンの向こうで
羽ばたいている
どこまで行けば
満たされるのだろう?




今年も残りわずか。
もう一本短編を更新できる、かな?

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ツイキャス12月5日配信。

ツイキャス12月5日配信分、
『あなたの気持ちが知りたくて。の回』

そろそろ今年のまとめとか、
新作についてとか、
おしっこおしっこ連呼する
30分です。



おもらしも、おねしょも、
「一般的には」
そうそうするものじゃない。
だからこそ、
「どうしてしてしまったのか」
「してしまったあとどうなったのか」
なんて
「非日常」「心の動き」
なんてに
強く心を惹かれるのだけど。
だけど。
「日常的に」
おもらしをしてしまう、
おねしょをしてしまう、
そんな
「日常」

「なにをしているのか」
「してしまったあとはどうするのか」
がとても魅力的に思えるし、
さらに言えば、
日常的におもらしやおねしょを
してしまうからこそ
「今日もしてしまうかもしれない」
「またしてしまうかもしれない」
という、
「非日常では起こり得ない」「心の動き」
があるだろうことも、
とてもときめきを覚えたりする。

おねしょっていいね。
おもらしっていいね。
あの子がおしっこについて考えてる
って思うそれだけで、
こんなにどきどきしてる。



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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ツイキャス11月28日配信。

ツイキャス11月28日配信分、
『螺旋の軌跡。の回』

 おしっこはなぜ螺旋を描き落ちるのか、
人類はなぜおしっこを我慢する能力を獲得したか、
わたしはなぜかくもおしっこに惹かれるのか、
おしっこと自分を見つめなおす30分、
毎週土曜日22時30分から、
間に合っても間に合わなくても、
お待ちしています。



欠けたわたしのこころを
埋める手立てを探している。
同じくらい欠けたあなたなら、
欠落したわたしと似ているかもしれない、
わたしの欠落を埋められるかもしれない、
なんて、焦がれたとて、
同じくらい欠けていたなら
決して、欠落は埋まることはない。



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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ツイキャス11月21日配信。

ツイキャス11月21日配信分、
『告白。の回』

人の思いはどこへ向かうのか?
何かが手に入ればこの気持ちは満たされるのか?
あるいは、
決して手の届かないものを永遠に追い続けるのか?
幸いとは? 生きるとは?
わたしとは? 存在とは?

、、、というおもらしの話です。


ちょっとネタバレ。



・・

・・・

『天使のラッパは夕映えにそそぎ』
を書くにあたり、いまいちど恋について
考えました。
それも、「叶わない恋」を。
例えば、アニメのキャラクターに恋を
することはできますが、
きっとその想いは「叶う」ことはありません。
けれど、胸は苦しく、切なく、焦がれます。
ではどうしたら、この恋は「叶う」のでしょう?
恋の行き着く先は?
そもそも「叶う」とは?
思いを巡らすことはまさに、
「おもらしが好き」という気持ちの行き着く先を
考えることと同じでした。
この胸のときめき、ときには苦痛にも似た想いは
何に向けられているのか?
どうすれば満たされるのか?
いつか冷める日が来るのか、それとも?
わたしは生涯、
おもらしに縛られたまま。



なんて!
もういい中年なのに、
ときめいていられるというのは
幸せだワ!
なんて!

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ツイキャス10月31日配信。

ツイキャス、10月31日配信分。
『トリックオア? の回』

ハロウィンのお話とか、
運動会シーズンって今? ってお話とか。



胸の内を少し。
 ツイッターをはじめ、インターネットから
さまざまなおもらし、おねしょの
お話を聞けるようになった。
実際のおもらしやおねしょのお話、
あるいは、おむつを手放せない方のお話、
それらの逸話は、わたしがいままで書いてきた、
言わば「わたしの想像のおもらし」を
軽々と飛び越えるような、
リアルとどきどきにあふれていた。
 これらの逸話を、うまく創作に落とし込めれば、
よりどきどきできる物語を書くことが
できるのではないか。
だが、そんな創作欲の裏で、
現実の誰かの、現実の出来事を
創作の材料にしてよいのか、
それは誰かを傷つけることには
ならないか、
不安が膨らみ続けている。
 個人の特定はできない状態にする、
当然の倫理である。
 誰かの逸話を用いたところで、
その「誰か」がわたしの「その作品」を
読む可能性は極めて低いだろう、
都合のいい推測が顔を出す。
 この不安の、そもそもの原因は何だ。

「他人の逸話を創作の材料として見ている
 自分への嫌悪」
「他人を傷つけることへの恐怖と
 それが原因で嫌われることへの恐怖」

口では、
「おもらしやおねしょで悩んでいる方を
 勇気づけられるようなお話が書きたい」
なんて言っておきながら、、、?

 ツイキャスの歯切れが何となく悪いのは
こんなことを考えていたからなのでした。

 きちんと話をすれば、誰かのエピソードを自作に
織り込みたいと思ったら、
「当人に確認し承諾を得る」
という過程を踏まなければならないでしょう。



拍手をいただいています。
ありがとうございます。

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